平行世界……パラレルワールド。自身が生きる空間とは別に、平行した空間があるという。あるいは自分が死んだ世界、あるいは自分が偉人になっている世界。人々は夢想する。
数多に存在する選択肢、自分が選ばなかったその先にも世界が存在するのだと、人々は言う。そこには過去も未来も無く、あるのは無数に連なる巨大な枝。中心を樹木に例えた根。
ある世界では量子力学と呼ばれるそれは、憶測の域を出ない。何故ならば確認する方法が無いからだ。……しかし、人々は言う。それでも世界は在るのだと。箱の中の猫は生きてもおり死んでもおり、もしかしたら存在すらしていないのだと。そして、その全ての結果が未来として刻まれる世界が在るのだと――――。
『違和感を感じて』
後ろでは佐藤と杉林が会話に花を咲かせており、さすがの俺でもそれに割り込むなんてのは野暮なことだとわかっている。気持ち足早にし一足先に教室に向かい、ガラッ、といつもと変わらない音を出す扉を開け、教室に入る。
「おは」
「おっおっ、武田君だお。おはようなんだお」
教室を見れば、まだ生徒の数はまばらで空席が目立つ。その中で一人、内藤が真っ先に挨拶を返してきた。何を思うでもなし、そちらに向かう。
「それにしても内藤、お前早いんだな。これでも結構早めに来ているつもりなんだが」
「僕はお弁当組だから、早く起きてお弁当を作らなきゃいけないんだお」
「すげぇな、自分で作ってるのか。母親は作ってくれないのか?」
「親が作るよりも自分で作った方が美味しいんだお……」
同情。てっきり母親は他界していますなんてしみったれた話になるかと思いきや、なんてことはない。食事に関しては恵まれていないらしい。
……食事と言えば俺もそうだな。最近は手軽に済ませれるものしか作っていない。それは結局同じものになりがちで、さすがに飽きが来るという。
「そういえば、武田君は一人暮らししてるんだお?」
「あぁ。……忠告しておくが、一人暮らしなんて学生の時分するもんじゃないぞ。どう考えても家事と学業は両立できない」
「き、肝に銘じておくお」
この年代、親の束縛から逃れて一人暮らしをしたいという願いは少なからず思う者が居るはず。しかし憧れること無かれ、その実態は兎にも角にも味気ない生活のみ。空から女の子が降ってくるわけでもなく、女の子を偶然拾うわけでもなく、ひょんなことから女の子と同棲し始めるわけでもなく……まぁ、なんだ。俺も結構飢えていたということか。
会話が一段落し、俺は鞄の中身を自分の机に詰め込む。そのまましばらくぼーっとしているとこの学校一と言ってもいいだろう、うるさいのが扉を勢いよく開けた。
「おはよーう!」
「あー、早紀ちゃんおはよーう!」
「おはー」
なんとも、この世は摩訶不思議。三島のような手に負えない奴でも、挨拶を返してくれる人間は俺より多い。……俺より多い、ここがポイントだ。ここで俺が挨拶をすると、その差は三倍。正直負けた気がすることはやりたくない。だがしかし、挨拶はちゃんとするものだ。ここで俺が挨拶をしなかった場合、誰が咎めなくとも俺が自己嫌悪に陥ってしまう。
「おはよう」
「あっ、武田君いつも早いね。おは」
結果、挨拶をしてしまう。我ながらとても子供地味たことを考えていると思うのだが、中々どうして釈然としない。境界期特有の不安定な心理状態、そう言い訳することにした。
先程の俺のように、三島はこちらへ歩いてきた。
「昨日は急いで帰ったようだが、なにかあったのか?」
「んー」
気を取り直して一つの疑問をぶつける。なんだかんだで、昨日の三島はおかしいっちゃおかしかったのだ。あれほど杉林を勧誘したがっていたのに、成功の報告をするもその反応は薄かった。
どうでもいいことだとは自分でも思うのだが、しっくりこないのは好きじゃない。こういうのも一種の自己中心的に当てはまるのだろうと思いつつも、聞かずにはいられなかったということで。
「いやね、ちょっと調べ物を思い出しちゃって、それで急いで家に帰ったのよ」
「調べ物?」
「うん」
調べ物というと……杉林関連か? いや、それは違うだろう。なんてったって昨日の昼の時点でコイツは相当の情報を集めていたのだから。
「まぁ、少し気になっただけだ。……裁縫部は今日作るのか?」
「うーん」
三島は腕組みをし、眼鏡を光らせながら真面目な顔で唸る。てっきりすぐにでも、そう、昨日の時点で作ると思っていたのだが、何故かそうしない。……しっくりこないな。
「なんだよ、なんかあったのか」
「……杉林さんはもう来てる?」
「何を急に。杉林ならどっかで佐藤と談笑してるだろうよ」
「そう……」
む、そういえば佐藤と杉林だな。いくら俺が早足で来たからといって、さすがに遅すぎる。三島が先に顔を出した時点で気付くべきだった。
「実はね、杉林さんのことなんだけど……」
「――おっはよーう!」
と、会話に割り込むように陽気な挨拶が教室に響く。どこの馬鹿かと視線を向ければ、そこには佐藤。今にもスキップしそうなくらいに機嫌の良さそうな彼は、あぁ、うざったい。こちらに向かってきた。
「よっす、武田! 今日はいい朝だな!」
「さっきまで一緒に暗い空気で登校してきた奴が何を言う」
「――おはようございます」
「っとと、杉林さんもいたのか」
いつの間に……というわけではないか。杉林は佐藤と並ぶように教室へ向かっていたはずなのだから。……まぁ、それを考えれば、佐藤のうざったらしいテンションにも納得がいく。それほどまでに杉林とのマンツーマントークは楽しかったと、そう訴えたいのだな。
取り残されている俺と三島を他所に、佐藤と杉林はそれはもう楽しそうに会話している。見れば杉林は笑っており、そのとき初めて彼女の笑った顔を見たのだと思い知らされる。……なんとなく頭にきたので、俺は俺で三島と会話しよう。それはもう楽しそうに会話してやる……と行きたいところなのだが、それよりも俺はさっき三島が言いかけたことのほうが気になっていた。
「で、杉林がなんだって?」
なるべく周囲に聞こえないよう、声を小さくして答えを促す。三島はしばらく杉林の方を見ていたが、ハッとしたかのようにこちらへ向き返った。
「あー、やっぱいいや。どうしても聞きたいんなら昼休みにでも話すね」
「さいですか」
……わからん。話そうとしたり先延ばしにしたり、ぼーっとしてみたり我に返ってみたり。これはもしや恋なのではないのか。……三島が杉林に? そりゃまた突飛な。さすがの三島でもそれは無いと思う。思いたい。
と、気付けば教室は騒がしかった。生徒の大体が登校し終わり、朝の会話に花を咲かしているピーク。もうそんなに時間が経っていたのかと時計を見れば、なるほど、それなりの時間だった。と、
「おっ、そろそろ先生が来るおっおっ」
内藤がそんなことを言いながら教室に入ってきた。いつの間に外に出たのか、そんなことを考えているうちに周りでは椅子の引き摺る音。三島や杉林、佐藤も例外ではなく、各々の席へ戻っていった。
……ふと気付く。結局、本道は姿を現さなかったのだと。
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