「――“アイツ”の特定は出来そうか、“佐藤”」
窓はあるのに、光が届かない。電球の光は灯っているのに、床まで届いていないかのような錯覚。故に光源足りえている物は床に散らばるディスプレイ。知識を持たない者が見れば、ただの数字の羅列にしか見えないそれ。
そんな退廃的な空気が蔓延している部屋の中で男が二人、話をしていた。一人はタール度数の高い煙草をふかし、もう一人はその男に視線を投げかけている。
「どうにも、な。同じホライゾンサーバーから進入されたということは特定できたのだが、如何せん障壁が堅すぎる。加えて、世界管理者と同等の権限を持っているとすれば、特定は容易じゃない」
ふーっ、と一際大きく煙を吐き出す、佐藤と呼ばれた男。その顔は疲労かストレスか、顔立ちは整っているのに対してひどくやつれている様に見える。目元は鋭く、ある種の殺意をも感じさせるそれは、かつて優しい顔をしていただろうその面影を掻き消しており。四十万の闇を覗いているような瞳は、話しかけている男には向いていない。
「そうか。……確か、あそこでは杉林心と名乗っていたか。その、“杉林心”についての情報は?」
「少し待て。…………なるほど、確かに適していると言えばその通り。杉林心が入院していたという情報は既に耳に入っていたかと思うが、どうやら植物人間となった彼女にログインしていたらしいな。病室は既にもぬけの殻だろう。ここは修正すべき点だな」
無数に散らばっているディスプレイの内、その一つを佐藤が見ながら言う。相も変わらず数字を垂れ流しているその画面、佐藤には違うものに見えるのだろう。
その答えを聞いて、もう一人の男が呆れたような口調で返す。
「生活面での障害は無いと言って間違いないな。……して、彼女が持つ管理人権限はどの程度だ?」
「お前、武田智和と同等と見て間違いないだろう。NPCの削除は最高レベル、つまりは、この世界を好きなように出来るということだ。……世界を再起動しても存在している時点で、我々と同じレベルだと確信した」
「ふう。どうにも、“趣味”にしては事が大きくなりすぎているな。一時凍結も止むを得ない状況かもしれない。……この世界で、他に利用者はいないのか?」
「最近では“本堂恵”にログインしている者がいる。害意はなく、この秘匿世界に接続できるということはなにがしかの関係があるのだろう。……武田、お前とな」
武田と呼ばれた男が、一瞬驚いたような顔をする。この管理している世界は、自分の生きる世界のパラレルワールド、その一つだ。関係があるとすれば、やはりそれは本堂自身がログインしているのだろう。
とにかく、“自分”にログインすることが一番簡単なのだ。この平行世界に存在する登場人物は、さして多くはない。ログイン出来る人物も限られてくる。……武田はさらに一瞬、嬉しそうに顔を歪めたが、すぐに無表情に戻った。
「なんにせよ、“武田智和”に張られた簡易ファイアーウォールをどうにかして欲しい。あれがある限り、俺がログインできない。……先程“佐藤”が消されたということは、彼女はまだ活動をやめていないということだ。急いで欲しい」
武田の言葉に佐藤は無言で頷くと、その視線を目の前のディスプレイに向けた。
お互い何も喋らず、呼吸音すらも機械の駆動音に掻き消されるこの部屋。“これが当たり前”と主張しているこの場に口を挟むものは居らず、ただ無常に響くタイピング音が空気を支配した。
『ログイン』
(じゃあ、なんで俺はここにいるんだ)
本堂から聞かされた事実、消えた佐藤と三島、そして俺。待て、頭が混乱してきた。……そう、確かに俺は本堂が言ってた通り、杉林によって消されたはず。間違いない、あんなことを忘れるものか。
それじゃ、なんで昨日三島が居たんだ? 何も変わることなく、普通に俺と話していたはず。普通に考えて、自分が消されたということを知っていたのなら……いや、おぼえてないのか? そうだ、三島が消える直前に、俺は三島と話していたはずだ。それをおぼえているのなら、俺に何らかの反応があってもいい。
……わからん。どこをどう考えても、俺の気が触れたとしか考えようがない。でも、本堂の言ってることが本当なら、佐藤が消えた。三島と同じように。……くそ、どうすりゃいいんだよ。
「――ツー、ツー、ツー、ツー」
「あれ?」
気が付けば、通話は既に切れていた。中々返事をしない俺に愛想が尽きたのか、はたまた事故か。よくわからないけど、本堂が言うには、佐藤は今消えたということ。場所を言ってくれればいいのに、その前に電話を切るなんて。……どうしたものか。このまま寝るのは、正直後味が悪いってレベルじゃないし、かと言って行動を起こそうにも、目的地がわからないと来た。
どうしようもない。
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……しくじった。よもや、佐藤だけではなくこの俺までも狙っていようとは。せめて考える時間が欲しいという願いも、どうやら彼女は聞き入れてくれそうにもない。
俺の通う学校、その校庭。佐藤に電話で呼び出された折、心躍らせながらも向かってみれば、そこには理解しようにも非常識過ぎた光景。光子となりて消え往く佐藤と、その傍らに立つ一人の女。
――杉林心。関係が無いとは言わせやせん。そう思いながらも背を向けてしまったこの俺を笑いたくば笑え。……どちらにせよ、悠長に電話なんぞしている場合ではなかったのだ。それも要点を伝えるわけでもなく。しようもない、校舎裏に逃げ果せたと思いきや、今目の前にいる人物は何者か。……見間違えるはずもなく、目の前の少女は杉林心。
本堂恵は絶望した。普段感じることのない、感じる機会なんてあるはずもない感覚。己に殺意を向けられるなど、日常にあってはならないのだ。
「もっと遠くに逃げたかと思ったのに。意外と、貴方って頭が悪いのね。……それとも、混乱して気でも触れたのかしら?」
そんな本堂を嘲笑うかのように、目の前の少女……杉林は言う。外見はいつもと変わらず、それと言った武器を持っているわけでもなく。普段と変わらない外見で、普段とは違った物言い。言うまでもなく本堂は、杉林に疑問の目を向けた。この少女は、真に俺の知っている杉林なのだろうか? 疑わしい、だが確かにその容姿は杉林心本人。
「くっ、気が触れているのは貴様の方ではないのか! 付き合っておれん!」
「あら、逃げるの」
口調は強気だったとしても、本能に訴えかけられている感覚はまごうことなき死の気配。暗く狭い校舎裏よりも、月明かりが差す校庭へ。本堂自身に争う気なんぞあるはずがないのだが、人間が持つ五感が正常に機能する場所へと体は動く。
その様子を見て杉林は焦るわけでもなく。緩々とした動作で本堂が駆けていった方を見ると、瞳に光が宿る。これで明らかになったと、追う者と追われる者。その表情は終始、微笑を止めることがなく。まるで散歩にでも行くかのような足取りで“追い始めた”。
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