「――どうだった」
「あぁ、存外にも夏の日差しというのは気持ちのいいものなのだな」
 二人の男が暗い部屋で話している。光源があるとすれば、それは周囲に広がる機械群。所々に仄かな光を放つディスプレイが散らばっている。
「――しかし、よもや消去《デリート》を行使する者が現れるとはな。以前発現したダイバージェンスは、なにかの予兆だったのだろうか」
「…………“佐藤”よ、俺はどうやら登場人物に感情移入し過ぎたらしい」
 機械が取り付けられた椅子、その大きさから見てベッドと表現する方が正しいのか。そこから起き上がった男が、そんなことを言う。
「――また、ログインするつもりなのか。発生点がマークされているというのはお前もよく知っているはずだぞ、“武田”」
 佐藤と呼ばれた人物、その男が慣れた動きでどこからか煙草を取り出すと、オイルライターで火を付ける。それを見た武田は一瞬顔をしかめるが、それでも気にせず話を続ける。
「俺の秘匿世界《プライベートワールド》に割り込んだ人物……“俺”の日常に消えることのない傷を残してくれた人物……許すことは出来ない」
「――そうか。お前がそう言うのならば、俺は止めないさ。……“彼女”のことだが、バックアップデータをインポートするのに些か時間がかかる。物ではない、人間なのだからな」
「ありがとう。……それじゃ、行ってくる」
 武田はそう言うと、再び椅子……もとい、ごてごてとした機械が取り付けられたベッドに横になった。続いて、機械の駆動音が部屋に響き始める。辺りに散らばったディスプレイに、細かい文字が表示され始めた。
 ――――ホライゾンサーバーにアクセス。


『終わりの瞬間』

 

 

 ――――三島が消えた。特別な比喩表現ではなく、そのままの言葉通り、目の前で消えてしまった。何かがおかしい、風景にひびが入ったような感覚。
「なんなんだよ……」
 思わず、俺は空に向かって呻く。空は相変わらず真紅に染まり、赤い飛行機雲は四散しようとしていた。……どうしようもない無気力感、それだけが今の俺を包み込んでいる。
 そして思い出す。俺は三島と誰を追っていた。……杉林、彼女も三島と共にここへ来たはずなんだ。なのに、いない。来た道を戻るのならば、俺と鉢合わせにならなければおかしい。屋上に隠れるような場所など無く、事実、杉林はここに居なければならないはずなのだ。
 思い返すは三島の言葉、“杉林は、杉林じゃない”。これがどういう意味なのか、今では問いただす相手の姿は無く。……空が赤から紫に染まる頃、誰に言われるでもなく俺は立ち上がり、学校を後にした。




 気付けば、自室のベッドに俺は横たわっていた。帰り道のことはよくおぼえていない。頭にあるのは今日の出来事、その一つだけ。
 空腹により腹が鳴ったが、それを無視して寝返りを打つ。部屋の明かりは点いておらず、時計を確認していない俺に時間感覚があるはずもなく、無に帰化したような錯覚。……いつからこんな小難しいことを考えるようになったのか、そんなことも思ったが後回しにする。今考えるべきことは、三島と杉林のことだ。
 ……非常識だ、と思考を停止するのはやめておこう。現実に非常識なことが目の前で起こったんだ、それを踏まえて考えるべきだ。
 昼休み、三島が言っていたことを丹念に思い出す。杉林は入院していた、そして今も入院している、しかし彼女は学校に来ている。ここになにかヒントがあるに違いないのだが、これだけでは何もわからない。……そう、“杉林は、杉林じゃない”。入院している杉林、学校に来ている杉林、これは別人じゃないのか? 思い出せ、俺はこの話を聞いて……都市伝説、そう、ドッペルゲンガーを思い浮かべたはず。
 ドッペルゲンガー。バイロケーションとは違い、もう一人の“邪悪な”自分が世を闊歩しているという心霊現象。入院している杉林を本人とし、学校に来ている杉林をドッペルゲンガーとしよう。……入院しているのに学校に居るという不条理に周りが何も反応しないということは、大本、つまり本人が今も入院しているからなのだろう。今のままでも家族に報告が行くと思うが、ドッペルゲンガーの方が問題を起こさない限り、そう無闇に連絡が行くとは思えない。義務教育に当てはまらない高校ならば、それは納得できる。
 思い出せ、杉林との会話を。煮え切らない受け応え、自身を客観視しているような言葉。それはつまり、本人だが本人ではないという仮定の話を裏付けるんじゃないのか? ……それだけじゃ足りない。
 ドッペルゲンガーの方、その目的もわからない。普通に学校へ来て授業を受けることか? 入院していた時の願い? ……さすがにここまで飛躍してくるとわけがわからない。落ち着こう、俺が知っていることだけでは答えに到らないと思え。
 目的はわからないが、事実三島は消えてしまった。……それとも消されてしまった、のほうが正しいのか。どちらにせよ、杉林が関わっているのは間違いないんだ。
 整理しよう。まず、杉林は二人存在している。これはもう揺るぎようのない事実とする。そして、直接手を下したのかはともかく、三島は消されてしまった。ドッペルゲンガーの説を適用すれば杉林が二人いること、ありえない場所でいなくなってしまったこと、この二つが説明できる。……杉林も三島と同様消えてしまったという考えは、何故か容認できない。とりあえず確信していることは、杉林が関わっているということだけ。
「はぁ……」
 知らず、溜息が漏れる。ここまで考えておいてなんだけど、なんでこんなことになってしまったんだ。そりゃあ、確かに俺は特別になりたかった。つまらない日常を突き崩すような何かが欲しかった。
 今日起こったことは確かに現実では起こりえない。願いだけを見れば、喜んでもいいことなんだろう。……でも、人が消えるなんて、さ。それも俺の知ってる奴なんだぜ? どうしようもない、非現実を望んだ俺に突きつけられたのは間違いなく現実。現実に非現実が起こった場合の現実なんだ、これは。
 でも、俺には何も出来やしない。土壇場で凄い能力が目覚めるわけでも、目の前で消えてゆく三島を助けたわけでもない。ただ呆然としていることしか出来なかった。見ていることしか、出来なかったんだ。
「くそ、くそっ!」
 目に熱いものが溜まってゆく。
 三島が消えたという事実を知っているのは俺だけ。他の奴に相談したところで、解決案が導き出されるとは思えない。……そもそも、解決案ってなんだ。三島を助ける? 消えてしまったのに?
 物語では正義と悪、敵の象徴とも言うべきものが存在している。だから主人公はそれに立ち向かうことが出来る。でも、俺には敵の象徴どころか、何が起こったのかさえ理解できていないんだ。漠然と起こった、それを見ていた、それだけ。
 目を瞑る。長く考えていた所為なのか、今日起こったことの所為なのか、思いもよらず眠気は早く襲ってきた。それに抗うわけでもなく、俺は意識を沈めてゆく。……最後に、今日こそが夢でありますように、と。


 早朝、午前五時三十分。太陽の日差しもまだ弱々しい頃、俺は外を歩いていた。言わずとも、向かう場所は学校。登校するには早すぎるこの時間に、他の生徒の姿なんてあるわけなく。――しかし、
「武田か」
「……本堂」
 いつものT字路、その場所にある確認鏡の下、そこには本堂の姿があった。いつも通りの制服姿、それに違和感があるわけでもなく。俺は普段と変わらない挨拶を返す。
「どうしたのだ武田、このような早い時間に。早起きは三文の徳と言うが、さすがにこの時間は早すぎるというもの。何か変な物でも食ったのか?」
「余計なお世話だ。……それに俺にとっちゃ、まるでタイミングを計ったかのようにここにいるお前の方が変なんだよ。というわけで、今の俺にお前と付き合ってやれる余裕は無い、じゃあな」
 俺だって別に目的があってこんな早い時間に登校しているわけじゃない。早く目が覚めてしまっただけだ。……なんで本堂がこの時間に居るのかはわからない、ただ、言った通り今の俺に人と会話する余裕は無かった。
 本堂は何も言わない。それを見て俺は本堂に背を向け、そのまま歩き出す。そうだ、学校に行かなければならない。急いで行かなければならないんだ。
「――杉林には気をつけるがいい」
「――――え?」
 バッ、と後ろを振り返る。そこに本堂の姿は無く……当たり前だ、本堂がこの時間に居るはずがない。再び前を向いて、歩き出す。


 校舎の壁面、遠くから見てもわかるほど大きな時計。校門前に俺が着いたとき、その針は六時を指していた。……辺りを見回すも、人の気配はない。俺だけが一人、この場所に立っていた。
 足音を妙に響かせながら三階、自分の教室へ向かう。ここまで来るまでにも、やはり人とは会わなかった。その筈だろう、さすがに時間が早すぎる。教師と言えど、来るのはまだ先だ。
 ――カツン、コツン、カツン。学校の指定でもある革靴、それが醸し出す独特の足音。何度のその音を聞いただろうか、目の前には教室の扉。間違いなく、自分のクラス。……扉を開ける。
「――あら、早いのね、武田智和」
 ガラッと扉を開ければ、そこには“やはり”杉林が居た。自分の席に座るわけでもなく、呆と窓から外の景色を見ていたようだ。……その整った顔立ちが、俺を見つめる。
「杉林さん、来ていたんだ。てっきり誰も来ていないのかと思った」
 開けた扉を閉める。そのまま教室へ入り、自分の机に鞄の中身を入れる。その様子を杉林はずっと見つめていた。何を言うわけでもなく。
「……杉林、既にお前の座標は特定してあったのだ。罠なんだろうが、俺はそれに乗ってやったというわけだ」
「そう……既に武田智和は……」
「消えてはいない。今は深層に引っ込んでもらっているがな」
 “俺”は何を言って、何をしているんだ? そうだ、意識がはっきりしない。何時からだ? わからない。……どうやら考えることは出来るようだ。話を聞こう。
「それを聞いて安心したわ。……そうよね、こんな大きい秘匿世界を保持しているんですもの。わざわざ自分から壊すこともない、か」
「どうやら、先日のダイバージェンス反応はお前らしいな。こんな最果ての世界へ何をしに来た?」
「何を、ねぇ。正直よく考えていないんだけど、強いて言うのなら“壊しに来た”。それだけね」
 会話を聞けるのはいい。考えるのもいい。しかし、言っていることがちんぷんかんぷんじゃどうしようもないだろ……常識的に考えて……。
 ただ、目の前に居る杉林が悪者っぽいってのは何となくわかる。というのも、壊すなんて物騒なことを言っているからなのだが。
「ならば容赦はしない。消えてもらおう――」
 と、“俺”が空中に手をかざすとそこに野球のボールに近い大きさの球体が現れた。そう、現れた。……いつから俺はこんなことが出来るようになっていたんだ。素晴らしい。
「――残念、消えるのは貴方よ。正直言って、私が会いたいのは貴方じゃなく、武田智和の方なので」
「なに……っ!?」
 “俺”が謎の球体を出している間、既に杉林は“俺”が持っている物と変わらない、そう、謎の球体を“俺”に対して向けていた。わかる、俺は凄く焦っている。
「対象に強制アクセス…………じゃあね、とりあえずログアウトしちゃってください」
「くっ、な、強制……的に……ログ………アウト…………」
 俺から見れば杉林は喋っているだけなのだが、“俺”に対しては効果抜群だったらしい。何か衝撃を受けるわけでも痛みが伴うわけでもなく、ふっ、と最初から無かったかのように“俺”は消えてしまった。
 ……なにが起こったんだ? わけがわからない俺を他所に、杉林がこちらに近付いてくる。
「武田智和、生きているのなら返事をなさい」
「……あ? ……あぁ、喋れる」
 喋ることが出来る。……それに、頭の中が軽いとでも言うのか、靄がかかったような変な感覚がない。簡単に言うと、頭がすっきりした。
「どうにか成功したみたいね。どう、今の気分は」
「すごく……すっきりしてます……」
 うーむ、思った。目の前に居る杉林、少しおかしくないか? いつもの彼女と違うというか、なんというか……うーん、わからん。わからないから聞いてみる。
「杉林さん、なんか今日おかしくね? イメージチェンジってやつか?」
「……どうやら本当に武田智和のようね」
 俺の言葉に何かを確信したのか、彼女の目付きが鋭いものになる。そして、あぁ、俺は馬鹿だ。すっかり忘れていた事実を思い出す。今さっきあったことも思い出す。
「杉林、三島はどうしたんだ」
 いきなり核心を突く。そうだ、昨日の晩、あんなに考えていたじゃないか。色々な可能性。……正直、難しすぎることも考えていたような気もするけど、そこは考えないようにする。
 俺の質問がわからないのか、それとも聞いていなかったのか。杉林は答えない。しかし、その表情は絶対に知っている顔だ。知っていて、答えるかどうかを考えている表情。
「……小難しいことを言うのも面倒だし、単刀直入にいうと、消したわよ。なんで貴方がそんなことを知っているのかしら」
「何の因果か、三島が消える瞬間に立ち会ってしまってね。おかげで心に深い傷を負ってしまった」
 やはり杉林が。よくはわからないが、さっきの“俺”との会話も相まって、常識の範疇に納まらない奴だということは確信した。……さて、どうしよう。真相を聞いたはいいが、具体的にどうするか決めていなかった。
「そ。……で、聞きたいのはそれだけかしら?」
「なんだ、質問に答えてくれるのか。……親切なんだな」
 俺の親切という言葉がまんざらでもないようで、先程まで無表情だった彼女の顔が一瞬だけ緩まる。……こんな状況でなんだけど、やはり薔薇にはトゲがあるというか何というか、惜しい。
「じゃあ聞きたい。さっき“俺”と杉林さんが話していたことだ。正直、聞いてる限りじゃ何を言っているのかさっぱりだった。説明してくれ」
「……いいわ。でも、本当に聞いてしまっていいのかしら? 全てを聞いたら、貴方は後戻り……いえ、どちらにせよ関係ないことね。――いいわ、話してあげる」
 そうして、彼女は話し始めた。途轍もない、俺が想像していた以上のことを。
「この世界は管理されてるの。……そうね、貴方にわかりやすく言うとネットゲームに近いかしら。そのネットゲームに存在しているNPC、それが貴方達だと考えて頂戴。でね、そのNPCに私たちプレイヤーが……なんて言うのかしらね、近い言葉で言うと憑依するのよ。そのNPCと同じ感覚を共有するわけ。でも、好きなNPCに憑依できるわけじゃない。飽くまで憑依できるのは自分自身だけなのよ。……で、さっき君にログイン――憑依していたのは間違いなく貴方なわけ。わかる?」
「わからん」
 とりあえずこの世界が管理されているというのはわかった。信じがたいけど、信じなければ他のことが理解できない。それに加え、憑依をするというのも何となくわかる。
 けど、その自分自身という辺りがよくわからない。まるで彼女はもう一人俺が居るようなことを言っている。……もう一人?
「待て、もう一人と言えば杉林さん、君は病院で入院していなければならないはずだ。なのに、君はここに居る。どういうことだ?」
「言ったでしょ、ここは言わばネットゲームのような世界。憑依できるのは一人じゃないのよ。つまり、私もこの世界の杉林心とは違うってこと。……私は憑依してないんだけどね。説明すると長くなるから省くけど、この世界では確実に杉林心という人物は二人存在している」
 ……これが真実なんだろうが、それでも簡単には理解出来ない。会話を続ける。
「じゃあもう一つ。君が言うには俺がもう一人居るようだけど、なんなんだ? 未来から来たとでも言うのか?」
「そう、ね。貴方とは違う高次の世界から来たとでも言うのかしら。少なくとも、未来じゃない。それよりも遠いと言えば遠く、近いと言えば近い場所。……そろそろ質問はいいかしら?」
「最後に一つだけ」
 そう、これこそが俺の聞かなければならない本当の質問。
「彼女は、三島は消えた。どこに消えたかはわからないが、帰ってこれるんだろうな?」
「それはわからないわ。この世界を保有している人が物好きなら、帰ってくるかもね」
「……そうか。俺の質問はこれだけだ」
 聞くだけ聞いて何もしないのはなんだが、杉林に背を向ける。ゆっくり考えたい。もう学校どころではなく、俺はどこか落ち着ける場所を探そうと教室を出――。
「待ちなさい。貴方の用は終わったようだけど、私の用は終わってないのよ。……武田智和、管理人の発生点。貴方を消去します」
「え?」
 ――それは突然の、そう、突然の出来事。彼女が俺の胸に触れ、何かを喋る。触れている手の甲に浮かんでいるのは、さっき見た球体。それが仄かに光ると、あぁ、これは。
「ごめんなさい。いくら平行世界とはいえ、貴方も生きている人間。私のやっていることは立派な殺人だと思う。……でも、ごめんなさい」
「あ……え……?」
 見れば、俺の体はどこかで見たことのある光に包まれ……そうだ、三島が消えている時に見た光と同じものに包まれている。……その時、俺は思う。消えるのだと。
 不思議と痛みはない。それよりも、体の感覚がなくなっていく気持ち悪さのほうが問題ある。あぁ、もう腹部まで到達している。
 何がいけなかったのだろう。いつの間にか色々なことに巻き込まれ、そしていつの間にか消えてしまう。……どこかで、なにかが出来たはず。

 ――――それを最後に、武田智和の意識が途絶えた。それと同時に、存在も消えてゆく。飛行機雲が伸びる青い空へと。


                                                     ――BAD END


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