現実は小説より奇なりとはよく言ったもの。普段と変わらない徒然とした日々を送っていた俺は、いつの間にか異様なことになっていたらしい。
目の前の男然り、今朝の話も然り。どうにもこうにも、欲して止まなかった非現実的な展開は想像していたものと違い、俺を今まで異常に悩ませる種となった。
「――佐藤に決まっているだろう!!」
殴られる俺。……理不尽すぎる。何故だかすごく泣きたくなってくる。いや、殴られたせいで少し泣いちゃったけど。
「い、痛いから、落ち着けよ。なんで俺が殴られなきゃいけないんだよう。というか、お前、ホモ――」
「ホモセクシュアルを否定するのか? したら最後、俺はお前を全力を以って攻撃する」
手に負えねぇ。まっこと手に負えない。恋する乙女は無敵とはよく言うけど、なに、恋する男はもっと性質が悪いのだと、現在進行形で身を以って知る。
「待て、待てよ。別に俺は否定する気もないし、今朝のことだってそんな色めいた話じゃないっつーの」
「……信じられんな。それをどう証明する」
粘着うぜぇええ。なんか腹が立ってきたぞ。昼飯を買いに行こうとしたところそれを妨害されて、呼び出されたかと思えば殴られて、殴られたかと思えば泣かれて、また殴られて。……俺、怒ってもいいよな。
「ぐえっ!?」
本堂が黙っている俺に腹を据えたのか、俺に飛び乗りマウントポジション、いわゆる馬乗り状態で拳を振り上げる。洒落にならん! と本気で頭に来た俺は……と、今まさに俺の口から耳を塞ぎたくなるような暴言が飛び出そうとした時、ギィーッという金属製の音。屋上の扉だと思われるそれに俺と本堂が二人して視線を向けると、そこには一人の女子が立っていた。
「あ、そのう……お邪魔、でした?」
「「…………」」
俺と本堂は二人して見詰め合う。気付けば二人は、その、なんというか……本堂が俺に覆いかぶさるような格好になっていて、あれだ、まるで本堂が俺を押し倒したような場面に見えるわけだ。
確かに説明としては間違っていない。現に俺はマウントポジションで殴らるところだったからだ。間違ってはいない。
……ただ、女子の顔を見る限りではそうも言ってられない。俺はあの顔をよく知っている。クラスが一緒なのは確かだが、そういう知っている、じゃない。……あの表情は自分の世界に浸っている顔だ。めくるめく妄想の世界にダイブしている顔だ……ッ!
「本堂、色々と言いたいことはあるが、とりあえず離れろ! お前の性癖が露見したくなければなッ!」
「くっ!」
俺の言葉が何を意味するのか悟ったのだろう、本堂は慌てて俺の上から離れる。
「あー……そう、三島早紀さん、だっけ。出来ればその誤解に満ちた妄想から帰ってきて欲しい」
「はっ、何故わかったんですか! というか、二人はやっぱり……」
「ちがっ」
違う、そう言おうとした時に、本堂が空気を読まずに屋上から立ち去ろうとしていた。
「武田、この続きはまた今度だ!」
がちゃん。屋上の扉が閉まる。
見れば青い空は澄み切っており、暑い日ざしも涼しい風がその場を心地よい空気にしていた。遥か遠くに見える入道雲はどこまでも大きく、一筋の飛行機雲は青すぎるこの空によく映えていた。
「……誤解、しないでね」
『俺と本堂、そして佐藤』
ホームルームが終わり、学校は放課後へと移り変わろうとしていた。夏だからだろう、太陽はまだ赤らむことを知らないかのように強い日差しをアスファルトに叩き付けている。
グラウンドでは運動部が活動し始め、掛け声が聞こえてくる。校内ではどこからか聞こえてくる――音楽部のそれだろう――、様々な楽器の音が溢れ始めていた。
二年B組。このクラスもまたホームルームを終え、一瞬の騒がしさが過ぎ去れば、そこには人影が三つ。
「またなんか用かよ」
「用がある! 遊ぼうぜ!」
「……」
俺は困惑していた。佐藤のこの変わりようはなんなんだぜ? 俺を馬鹿にしてるのか? いや、今朝の話を信じるならば、こいつは俺に罪の意識を感じているらしい。なら、罪滅ぼし?
「ばっかじゃねーの」
そう言うと、俺は早々に帰り支度をする。机に詰め込まれた教科書を鞄に入れ、席を立つ。……と、佐藤がこちらを含みのある目で見つめてきている。まさかこいつまで、その、ホモセクシュアル……?
寒気を感じ、足早に教室を出ようとして――
「うわっ」
「ぬ」
ドスン、人とぶつかってしまった。あぁ、嫌になるったらありゃしない。よくよく見ればぶつかった相手は本堂だ。メガネだ。なんだってこう、今日は続いてイベントが起こるのか。
「どいてくれよ。俺ぁ帰るんだ」
「そうはいかんな。言っただろう、昼休み。この続きはまた今度、と」
本堂はメガネをくいっと直す仕草を見せると、そのレンズの向こうには怒りに満ちた目が見えた。
途轍もなく、ピンチ……っ! 前門の狼、後門の虎とはよく言ったものだ! くそっ!
「ん? メガネじゃん。どうしたー、忘れ物か?」
「な、佐藤!」
どうやら本堂は佐藤に気付いていなかったらしい。その狼藉ぶりは半端ない。見れば顔を赤らめたり無意味に時計を見たり佐藤の方を見なかったり……乙女の、反応……。
ふふ……これは好機と見たり。
「やぁ本堂君。俺も忘れてないよ、昼休みのことは。というわけで、続きを話せばいいじゃない」
「武田ぁ……!」
ニヤニヤと本堂を見る。なるほど、惚れた相手の手前、さすがに昼休みの時の勢いというわけにはいかないらしい。
イニシアチブはこちらが奪った、後は相手の隙を見れば無事家路に付くことが出来る。
「お、もしかして武田と本堂、面識あったりする? あ、だよな! 同じクラスだし、当たり前だよな! わっはっは、よかったよかった!」
何がよかったのか、佐藤は一人自己完結している。
俺と本堂はというと、まるで牽制し合うマングースとコブラの如く、睨み合ったまま動けない。流れからして、俺が真実を言えば本堂の負けが決定する。なのに、本堂は俺の前からどこうとしない。
……三人が三人、異なる葛藤を抱き沈黙する中、佐藤がその沈黙を破った。
「おし。そんじゃま、三人で遊びに行くとするか」
「「え?」」
奇しくも、いがみ合う俺と本堂は同じ反応をしてしまった。
「何故俺が武田なんぞと……」
「なんで俺がホモ野朗なんかと……ひっ、ごめんなさい!」
キッと物凄い形相で睨みつけてくる本堂。反射的に謝ってしまう俺。
……なんでこんなことになっているか、それは俺が一番聞きたい。本堂と佐藤だけならまだしも、なんで俺がこの場にいるのか。今日までろくに話すことさえしなかったというのに、何故、三人仲良くといった具合にゲームセンターなんて場所にいるのか。
見れば俺と本堂は、二人仲良くスリルドライブをやっている。佐藤はトイレに行くと言って、まだ戻ってこないようだ。
「ほう、本堂君は普通車ですか。ま、妥当っすね」
「ふん、そういう貴様は大型車か。まぁ、お似合いなんじゃないのか」
二人して睨み合う。この状況に疑問を抱く気持ちを抑えて、今はゲームに集中する。負けられない、こいつにだけはなんであっても負けたくない。たとえそれがゲームであっても……ッ!
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